基本的に体罰はしてはいけない事ですから,荒れをおさめるための方法として考える事自体意味がない。なにより,今の子ども,生徒は,言葉の暴力を含め,手を出した時点で教師に背を向け,全てが崩壊する。(男性・中学校)
一番深刻なのは,指導力がある教師がかかわる「荒れ」です。今までの指導方法や経験,考えにしばられ,目の前の生徒や子どもの現状に対応できない場合があります。つまり指導力があるがゆえに「変われない」ということが「荒れ」の問題に関しては,最も深刻ではないかと思います。(男性・中学校)
教職希望者の責任感が強いことは教育現場にいる者として嬉しいことではあるが,彼らが一人で問題を抱え込むような教師になることは決して望まない。複雑な学級の問題は,学校全体の組織力をもって対処すべきであり,教師一人がいじめの責任を負っても,また教師の力量を問うても,ましてや,体罰の是非を議論しても何ら解決にはならないからである。必要に応じて,他機関や地域の力をかりて対応していかなくては,昨今の「いじめ」や「学級崩壊」は解決しない。 (男性・小学校)
学級崩壊を引き起こす先生のタイプとして,「まじめであること」や「責任感の強い人」が特徴として挙がっているようである。教師としての使命感や責任感が,かえって学級崩壊を助長しているとしたら,そしてそれらが無意識のうちに自己の内に形成されているとしたら,学級崩壊という現象を冷静に分析していないということと,自己について認識しきれていないという2つの側面のことが言えるのではないだろうか。(男性・中学校)
いじめの責任を教師がとるというよりも,いじめに対して教師と保護者などが連携して解決を図るということだと思います。そうすることが,「教師が責任をとる」ということではないでしょうか。もっとも,日常の指導を通して,子どもに呼びかけることも重要です。学級崩壊についても,その原因は教師の力量が全てではないと思います。どんなに教職歴の長いベテランの教師でも起こるときは起こるでしょう。要は,その後どう対応していくのかだと思います。(男性・小学校)
生徒との信頼関係があれば,一種の「体罰」によって関係性を深めることもあるのかもしれない。しかし,教師が生徒に手を出さない理由としては,2つあると思う。1つは,今体罰はいけないということよりも,手を出してどうにかなるという問題ではないと自覚しているから。2つ目には,一部の教師には「手を出して子どもとの関係を壊したくない,嫌われたくない」という考えがあるから。この2つが考えられる。私は,体罰は一種の暴力行為であるがゆえに,子どもの心を改心・更生させることはできない,無駄なことだと考える。(男性・中学校)
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