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―対談―
人類学と子ども 脳の巨大化とともに長期化した子ども期

小林 登×馬場悠男

2  人類進化のイベントはすべてアフリカで起こった

小林 先日、馬場先生が監修されたNHKの番組を拝見しましたが、人類は我々ホモ・サピエンスも含めて、過去に20種もいたそうですね。比較研究が緻密になって、さまざまな差異が見えてきたのでしょうが、人類進化はどんなプロセスをたどってきたのですか。

馬場 人類学は、人類を生物進化という観点から研究する学問ですから、ダーウィンの影響は絶大です。実は、ダーウィンは、人類が二足歩行をし始めたときには、すでに脳は大きくなっていて、道具も使用していた、というように人類進化をセットで考えていましたしかし、実際に化石を調べていくと、そうではないことがわかってきました。
 1891年、オランダのウジェーヌ・デュボアという人類学者が、インドネシアでジャワ原人の化石を発見しました。ジャワ原人は現代人と同じように直立してはいましたが、脳容積はチンパンジーと現代人の中間の900tぐらいしかなく、サルとヒトとのミッシング・リンク(失われた環)を埋める世紀の大発見と言われました。また、1924年に発見されたアウストラロピテクスも直立していましたが、脳容量はチンパンジー並の350tで、ヒトの祖先なのか、類人猿の変種なのかが論争になりました。
 このような化石が発見されても、すぐにはダーウィンの考え方は否定されなかったのですが、さらに同じような化石がアフリカやアジアでたくさん見つかり、徐々に人類進化をセットで考えることはできなくなりました。
 人類はまずは二足歩行をし、立ち上がったチンパンジーのような状態が400万年近くも続きました。それから、道具の使用や肉食などの影響で脳が大きくなります。さらに、何十万年あるいは百万年もかけて、言語の発達へと向かいます。たくさんの人類化石の発見でわかったのは、人類はいくつかの進化の過程を経て、長い年月をかけて人間らしくなっていったということです。

小林 猿人もそうですが、原人や新人の起源もアフリカですよね。

馬場 不思議なことに、人類進化の主要なイベントはすべてアフリカで起きているんです。

小林 なぜなのでしょうか。

馬場 偶然も半分はあったと思いますが、一番考えられるのは、気候の変化に対する適応ですね。アフリカは気候の変化が大変激しかった。サバンナは乾燥してしまうと、ほとんど食料がなくなってしまうのです。アフリカでは乾燥化の大きな波が3回ほどありまして、そのたびに乾燥した気候に適応できる、新しいタイプの人類が誕生したのではないでしょうか。700万年前には猿人が、250万年前には原人が、15万年前には新人が登場していますね。

小林 連続的にではなく、突然、ジャンプするように進化するんですね。

馬場 そうですね。大きな気候の変化とともに、新たな適応が行われるということでしょうか。ただ、二足歩行に関しては、気候の変動によって森から平原に出て、止むを得ず立ち上がったと言われていたのですが、現在では、森で生活していた時代からある程度は二足歩行していたことがわかっています。

小林 木の上を渡り歩きながら、二足歩行を覚えたということですか。

馬場 我々の祖先のモデルとして、ピグミーチンパンジー(ボノボ)が解剖学的に大変近いと言われています。彼らは子どもを背負って、さらに食べ物を抱えて、二本足でひょこひょこ歩きますが、最初はあのような二足歩行をやっていたのではないでしょうか。森の中で立って歩いていたという根拠は、ひとつには初期の猿人の化石が森の動物の化石と一緒に発見されているということがあります。また、初期の猿人では歯のエナメル質が薄いことからもわかります。後に草原で暮らすようになった猿人は、根茎や豆など固いものを食べていたようで、歯のエナメル質はチンパンジーよりも厚いんです。その特徴は我々現代人にまで受け継がれています。それが薄かったということは、森の柔らかな果物や葉っぱや木の髄を食べていたと考えられるのです。


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